ARCANA/コラム/【福岡】元寇防塁 ― 海に向かって20km、日本が本気で築いた壁
福岡の歴史さんぽ

【福岡】元寇防塁 ― 海に向かって20km、日本が本気で築いた壁

I

海に向かって立つ、20kmの石の壁

福岡の海沿いには、「元寇防塁」と呼ばれる石積みの遺構が点々と残っています。鎌倉時代、モンゴル軍の上陸を防ぐために築かれた防衛線です。当時は「石築地(いしついじ)」と呼ばれ、博多湾に沿って約20km、高さはおよそ2m。海に背を向けるのではなく、海に向かって立ちはだかる壁でした。

II

なぜ築かれたのか

きっかけは1274年の文永の役です。900隻、約3万のモンゴル軍が博多湾に押し寄せました。

この戦い、実は日本が押しています。モンゴル軍は馬上で扱う小型の弓を数多く放つ戦法。対する鎌倉武士は大弓を引き絞り、狙撃手のように一撃で仕留めます。飛距離が違うので、モンゴル軍は間合いに入る前に射抜かれ、指揮官を狙い撃ちにされて指揮系統から崩れました。撤退を決めたあとに暴風雨が襲ったので、この一度目の風は「神風」というより敗走への追い打ちです。

それでも、博多湾に敵の船が並んだという事実は重かった。次はもっと大軍で来る――そう考えた幕府は、上陸そのものを封じる策に出ます。それが防塁でした。

III

7年がかりの防衛線

築造は文永の役の二年後から始まり、弘安の役までの約7年で20kmを完成させます。九州の御家人たちに地域ごとの担当区間が割り当てられ、それぞれが自前の負担で石を積みました。区間によって石の大きさも積み方も違うのは、そのためです。

同時に異国警固番役も強化され、九州の武士だけでなく全国から兵が集められました。国を挙げての備えです。

IV

防塁は、本当に効いた

1281年、弘安の役。朝鮮半島から4万、中国本土から10万、合わせて14万という規模でモンゴル軍が再来します。

ところが本土側の出発が遅れ、先に着いた4万が見たのは、前回とは別の光景でした。海岸にはびっしりと防塁が立ちはだかり、その上から武士が弓を構えている。手前の海には日本の船まで並んでいる。上陸できる場所がない。

彼らは博多を諦め、志賀島へ逃れます。そこへ日本軍が夜襲をかけ、船に乗り込んで斬り、火を放つ。態勢を立て直す暇も与えられません。遅れて10万が合流しても、休みない攻撃で上陸できないまま2か月が過ぎ、夏の九州の海で台風に遭って壊滅しました。

つまり「神風で助かった」のではなく、防塁が敵を海上に釘づけにし、台風が来る季節まで足止めした、というのが実態に近いのです。壁は、たしかに仕事をしました。

V

勝利のあとに残ったもの

しかし戦後、幕府は苦境に立ちます。国内の戦なら勝てば土地を奪って恩賞にできますが、防衛戦では配るものがない。防塁の築造費も警備も御家人の自腹でした。働いた分だけ持ち出しが増えたわけです。恩賞の出ない幕府から武士の心は離れ、やがて鎌倉幕府は倒れます。

モンゴル帝国と鎌倉幕府、その両方が衰えていく転換点。それが元寇でした。

VI

見学のしかた ― 実物に会える4か所

防塁は約20kmすべてが残っているわけではなく、市街地の下に埋もれてしまった区間も少なくありません。それでも、実物を間近に見られる場所が福岡市内にいくつかあります。

生の松原地区(西区)――いちばん「壁」らしい姿に会えるのがここ。JR筑肥線「下山門駅」から徒歩10分ほど、白い砂浜と松林の境を縫うように築かれた区間で、一部は築造当時の高さまで復元されています。2023年夏に柵の改修が終わり、あらためて公開されました。

今津地区(西区)――かつては西の柑子岳の山裾から東の毘沙門山まで、砂丘の上を約3kmにわたって続いていた区間。当時は高さ3m、上の幅2m、下の幅3mという台形に石を積み、内側に砂を詰めた構造だったことがわかっています。現在は松原の中に約200mが復元整備されています。博多駅からバスで30〜55分と少し遠いぶん、静かに向き合える場所です。

西新地区(早良区)――西南学院大学の第1号館1階に、校舎の建設時に見つかった防塁の遺構が移築展示されています。平日9時〜17時(夏季休暇中は10時〜17時)に無料で見学でき、雨の日でも大丈夫。ここでは石塁の南側から土塁も見つかっていて、防塁の遺構で土塁が確認された最初の例だそうです。大学の施設なので、行事などで見られない日もあります。

地蔵松原地区(東区)――箱崎の筥松にあり、地下鉄「貝塚駅」から徒歩5分。薩摩の御家人が受け持ったと伝わる区間で、いまは土塁状の高まりが残り、地蔵松原公園に説明板が立っています。

いずれも見学は無料。屋外の区間は砂地と松林の中を歩くので、歩きやすい靴がおすすめです。

VII

今も残る石積み

実際に立ってみると、防塁はただの石の列です。高さ2mほど、素朴に積まれた石が、松林の中を淡々と続いているだけ。案内板がなければ通り過ぎてしまいそうなほど、派手さはありません。

けれど、たった7年で20kmを積み上げたという事実の前に立つと、当時の人々がどれほどの危機感を抱いていたかが、そのまま伝わってきます。海の向こうから大軍が来るかもしれない。その不安に、当時の人たちはこの石で答えたのです。

博多湾の穏やかな景色と、足元の石。その落差こそが、元寇防塁のいちばんの見どころかもしれません。

Accessus

アクセス・基本情報

名称
元寇防塁(生の松原地区)
住所
福岡県福岡市西区生の松原
アクセス
JR筑肥線「下山門駅」から徒歩約10分。松原の中を歩いていくと、復元された防塁が現れます。
駐車場
専用駐車場はありません(公共交通機関でのアクセスがおすすめです)
時間
見学自由
料金
見学無料
公式サイト
https://bunkazai.city.fukuoka.lg.jp/cultural_properties/detail/34
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