ARCANA/コラム/【福岡】黒田官兵衛・長政父子の福岡城跡へ — 幻の天守の謎、令和に蘇った潮見櫓、地下に眠る古代の迎賓館・鴻臚館
福岡のパワースポット

【福岡】黒田官兵衛・長政父子の福岡城跡へ — 幻の天守の謎、令和に蘇った潮見櫓、地下に眠る古代の迎賓館・鴻臚館

I

天神から徒歩15分 — 都心に残る日本100名城

今回訪れたのは、福岡市中央区の福岡城跡。日本100名城のひとつに数えられ、現在は舞鶴公園として整備されている、福岡市民にはおなじみの場所です。桜の名所として花見の時期は大にぎわいですが、ガイドの方の案内で歩いてみると、この城跡には知らなかった物語がぎっしり詰まっていました。

福岡城を築いたのは、戦国武将・黒田長政。あのNHK大河ドラマでも描かれた名軍師・黒田官兵衛の息子です。長政は慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで徳川家康率いる東軍に味方して大きな戦功を挙げ、筑前一国・約52万石を与えられて、豊前中津(現在の大分県中津市)から移ってきました。福岡藩の初代藩主です。

はじめは名島城という城に入ったものの、城下町を広げるには手狭だったため、福崎と呼ばれていたこの地に新しい城を築くことを決意。慶長6年から約7年の歳月をかけて完成した城は、内曲輪の面積およそ41万平方メートル、東西約1km・南北約700mという、全国でも有数の規模を誇る平山城でした。

II

「福岡」という地名は、この城から始まった

ここでガイドの方から、はっとさせられる話が。実は「福岡」という地名は、この城の名前から生まれたのだそうです。城名の由来は、黒田家ゆかりの地である備前国邑久郡福岡——現在の岡山県瀬戸内市にあった地名。長政は新しい城と城下町を建設し、この地を正式に「福岡」と名付けました。江戸時代の幕開けは、都市・福岡の幕開けでもあったのです。

また、当時の福岡城は海に面していて、海から望むと鶴が羽ばたくような姿に見えたことから「舞鶴城」とも呼ばれました。城跡の公園が「舞鶴公園」という名前なのは、その別名から来ています。

III

令和に蘇った潮見櫓 — ドラマのような復元物語

城の西側の入口にあたる下之橋御門は、東側の上之橋御門とともに城内に入るための門として使われていたもの。平成12年に不審火で半焼するという受難に遭いましたが、平成20年11月に復元されました。焼失前は一層でしたが、現在の二層の姿こそが本来の形と考えられているそうです。

その御門の横に建つのが「伝潮見櫓(でんしおみやぐら)」。大正時代に旧黒田家の別邸に移築された櫓が「潮見櫓」として伝わり、のちにこの場所へ再移築されたものですが、近年の調査で「本物の潮見櫓は別の建物だった」ことが判明。それ以来、「伝」の一文字をつけて呼ばれるようになったのだとか。

では本物はどこにあったのか——なんと、博多区の崇福寺に明治41年に移築され、お寺の仏殿として使われていたのです。平成2年から始まった調査で、小屋裏から見つかった棟札によりこの建物こそが潮見櫓だったと判明。江戸時代当初の部材を使い伝統的な工法で移築復元され、令和8年(2026年)の春、本来の場所である三の丸北西隅に約120年ぶりに蘇りました。竣工したばかりの内部は無料で見学できます。まさに歴史ミステリーのような復元物語です。

IV

天守閣はあったのか? — 幻の天守と3つの天守台

本丸の一番高い場所にあるのが天守台——天守閣を乗せるための基礎となる石垣です。福岡城には大・中・小と3つの天守台がありますが、実は「福岡城に天守閣があったのかどうか」は、長年の謎なのだそうです。

江戸時代の正保3年(1646年)に描かれた福岡城の絵図には天守閣が描かれておらず、官兵衛・長政父子は幕府に遠慮して天守を建てなかった、と長く考えられてきました。ところが近年、「慶長12年12月に天守を建てた」と記された新しい資料が発見され、謎は再燃。令和8年度からは天守台周辺の発掘調査も始まっていて、幻の天守の真相解明はまさに現在進行形です。

現在の天守台は展望台になっていて、福岡の街と博多湾を一望できます。正面にすっと立つ福岡タワーまで見渡せる眺めは爽快で、ここが城下町から発展した街なのだと実感できる場所です。

V

3種類の石垣と、江戸時代から動いていない重要文化財・多聞櫓

福岡城の見どころとしてガイドの方が力を込めて教えてくださったのが、石垣です。福岡城の石垣は大きく3種類。自然の石をそのまま積み重ねた「野面積み(のづらづみ)」は古い時代のもので、天守台を中心に城の南側に多く見られます。割った石を用いた「打込接(うちこみはぎ)」は加工度が上がるぶん勾配が急になり高さも増したもので、城の北側が中心。石には石を割った際の「矢穴」の跡も残っています。そして石垣の隅に使われるのが、加工した石を交互に積み上げて強度を高める「算木積み(さんぎづみ)」。時代による技術の進化を、歩きながら見比べられるのが面白いところです。

二の丸の南隅には、国指定重要文化財の「多聞櫓(たもんやぐら)」があります。江戸時代から現在の位置を保っている、福岡城で唯一の櫓。二層の隅櫓と、そこに連なる長さ54mの平櫓からなり、大砲や鉄砲玉が備えられていたことから、いざという時の防御のための櫓と考えられているそうです。

VI

まとめ — 地下にはもうひとつの歴史、古代の迎賓館「鴻臚館」

福岡城跡には、城とはまったく別の時代の国指定史跡が眠っています。それが「鴻臚館(こうろかん)」。飛鳥時代から平安時代にかけての外交施設で、中国大陸や朝鮮半島からの使節団の迎賓館として、また遣唐使や遣新羅使の宿泊所として、約400年にわたり日本の外交の窓口を担った場所です。1047年の記録を最後に歴史から姿を消し、その場所は長らく謎でしたが、大正時代に九州帝国大学の中山平次郎博士が万葉集の歌をヒントに福岡城内説を提唱。昭和62年、平和台球場の改修工事で本当に遺構が発見されたという、これまたドラマチックな物語。城内の鴻臚館跡展示館(入場無料)で、その遺構や交易の歴史を見ることができます。

戦国の名軍師・黒田官兵衛と、関ヶ原の武功で一国の主へと駆け上がった長政。親子二代の飛躍の集大成であるこの城は、出世運や勝負運にあやかりたい方にもぴったりの場所といえるかもしれません。桜の季節はもちろん、謎解きのように歴史を訪ね歩ける福岡城跡。天神からふらりと歩いて行ける距離なので、福岡観光の合間にぜひ立ち寄ってみてください。

Accessus

アクセス・基本情報

名称
福岡城跡(舞鶴公園)
住所
福岡県福岡市中央区城内1
アクセス
福岡市地下鉄空港線「赤坂駅」2番出口から徒歩約10分。「大濠公園駅」5番出口から三の丸スクエアへ徒歩約10分。天神からも徒歩約15分です。
駐車場
あり(舞鶴公園の有料駐車場)
時間
城跡の見学は自由(鴻臚館跡展示館・潮見櫓の内部見学は9:00〜17:00、入館は16:30まで。年末年始は休館)
料金
入場無料
公式サイト
https://fukuokajyo.com/
✦ Divinatio · 無料鑑定
あなたの星命を、AIが読み解きます。
生年月日とタロット3枚で、本格鑑定書を無料作成。
鑑定を始める